令和6年能登半島地震について

このたび石川県能登地方を震源とする大規模な地震により犠牲となられた方々に、謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。

地震が発生してからというもの様々な支援活動が展開されています。全国からあたたかい支援もいただき県民として感謝いたします。

今回は道路が寸断され、通信も届かないということで支援の道筋がつかないことが大きな支障となっています。また、元旦の地震だったということもあり被災者の方はもとより、支援にあたる人にもレンタルに大きな負担を与えています。

日本航空と海上保安庁の衝突事故も関連事故で影響してると思います。とても痛ましい事故です。

石川県では年始から様々な活動も停止しているとともに、しばらくは 能登の支援に傾向する流れとなっています。

この状況で思い起こすのは東日本大震災での記憶です。テレビの大惨事に心を打たれ 私もトラックに支援物資を積んで走った経験があります。

当時は原発が止まって 放射能汚染がひどく運送業者も入ることが出来なかった事情もあり、それならばと向かった次第です。

ところが 現地に行ってみると 全国から個人レベルの支援者が集まっており膨大な支援物資が集積していました。問題はその内容です。

古着や細かな食料など、現地の人は仕分けをすることに大変で肝心の復旧活動ができない状況でした。おそらく 8割〜9割は使われずに捨てられたのではないかと思います。一言で言うと迷惑だったと思います。

その時の教訓があって必要のないものは 押し売りしてはいけないという反省があります。今、能登へ向かう道は個人の車両で渋滞で緊急車両が通れません。

命が大切だからこそ情報統制が必要だと感じています。みんな、何かができればと思うのですが 冷静に組織的に対応した方が良いと思っています。

でも日本人は慈愛に満ちていて良い民族だと思います。ボランティアや募金活動も、いずれわが身と思い あるいは家族と思い共同体として活動していると思います。

こうやって日本を見ると本当に小さな船だと思います。一部が浸水すると沈没してしまうようなデリケートな国。混乱の中で皆さんがストレスを感じパニックを起こしている、そんな時こそ人を思いやり適切な行動することが大事だと思っています。

石川県は能登半島が完全に機能停止してしまったような状態です。しかしながら 能登は優しいや土までもということわざがあるように強い心で生きていくのだと思います。

ハード的、経済的には破綻していますがこれからが底力を発揮したいところです。

波乱含みの元旦でしたがこれを教訓に1年を 堅実に過ごしていきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

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