デザイン会社の立ち位置

デザイン会社はとても怪しくて、ふわっとした立場と捉えられがちですが、その存在意義について記します。

最近お客様に言われることは、「デザインって大切だと思います」ということです。その真意は分かりやすく伝えるということらしいです。

その意味について改めて確認します。

弊社は民間、行政と半々くらいに仕事をしてきました。ベースは株式会社として利益を求めることに存在意義があるのですが、ここにはこだわりがあります。

世の中に役立つということはイコール利益、更には余剰利益で評価されることは大切です。とても純粋な仕組みと言えます。その中でコミュニケーションは関節部でありながら重要な役割を果たします。あるいは広義では商品の市場整合性(必要なものか)も含まれまます。

経済活動は、必要とされるものを、適切な人に、適価で販売する、という行為で成り立ちます。

これの3つの過程は、難解な課題であり、時に思い込みでことが進むと厄介なことになります。これは人間関係でも解るように永遠の課題です。

経済活動というと硬すぎますが、ありがとう、感謝します、といった原単位が大切です。

株式会社というスタンスは、私は当初見栄で作っていたと思います。でも資本というものは、共感であり 社会投資であり信用という原理に基づくものと今は認識を見直しています。

なぜこんなことを書くかというと、自分たちの仕事の誠実さや存在意義を常に見つめ直したいと考えているからです。

周りを見れば 過剰投資や無謀な事業で挫折する会社も多いです。あるいは過剰な宣伝活動に期待して挫折する会社もあります。

夢は希望であって理想であって現実ではないということです。現実の先に小さな改善を積み重ね 適正な人間関係(商行為)を築いていく。思い込みであってはならないということです。

そんな中に、私たちのデザイン業の立ち位置があると捉えています。それはもしかして、クライアントに警告を伝えることかもしれません。あるいは一緒に現実を認識することかもしれません。つまり行為の調整役も含まれると思います。

今回の能登半島地震について思うことがあります。

様々な苦難に遭遇する人がいる一方で、ここぞとばかりに商売に結びつけたり、あるいは 窃盗など混乱に紛れて利益を得ようとする人もいます。とても雑なコミュニケーションが氾濫していて危険です。

この災難がとても短期的に集約されていて人間社会を表現してると感じています。そして最も冷静な判断が必要とされています。

人々が 初詣で神様に願いをかける時に起こったこの災害。神様はいないのだなと痛切に感じました。

でもこれは現実で、目の前の現実を恨むこともできません。

淡々と目の前の現実に対峙していく。

仕事も人生もそんな冷静で強い心が必要なのだと思っています。

目次