そもそも、なぜデザインなのか
石川県の加賀で育ち、5歳の時から「赤色」が好きで靴から服まで全て赤をまとい、近所の人から「女の子みたいだね」と言われていました。その時から何故赤が「女の子」なのかという漠然とした疑問がありました。
そうではない。個性は自由なはず。そんなアンチテーゼがあり、小学生になってからも好きな絵を描くようにしました。写生会では、真っ直ぐな一本道だけ描いたり、海を七色に描いてみたり、おそらく現実と違う好きな世界を描きます。
そんな事をしていると、周りの人から絵が上手たね、と言われるようになります。今思えば決して上手くは無くて典型的なおだてられた子供でしかなかったと思います。それを真に受けて、美術大学に行くことを進められて、高校から画塾に行くことになります。
ところが、先生には「君は才能がないから、早めに進路を変えなさい」と言われ、泣くなく画塾を辞めることになりました。しかし、「何故先生に評価されなければならないのか?」とまたアンチテーゼが芽生え、自分で独学することになります。1日1枚デッサンをひたすら描き続けました。
それが良かったのか、金沢美術工芸大学に入ることができました。在学中はデザインも去ることながら、家庭教師から土方まであらゆるアルバイトをしたり、海外にもバックパッカーで一人で旅しました。その時期は見識を広げる遊びの時期で良かったと思います。
そして、社会人になるべく、広告の花形である電通入社を目指していたのですが、入社試験に落ちて落胆、地元金沢の不動産会社の広報部(現在のアパ)で新入社員時代を過ごします。鬼のような?社長の秘書として広報を学びました。所謂どろくさい広告手法で勉強になりました。時はバブルでお金にまつわる人間関係の殺伐とした辛さを味わいました。
その後27歳で独立してデザイン事務所を始めました。ほぼ成り行きですがそれが良かったと思います。結婚した翌年でしたので、家内の父親に相当心配をかけたと思います。
それで
株式会社ヨシタデザインプランニングについて
何をしている会社かお話します。
デザインは、人のココロを変え、もしかして人生を変え、もしかして社会を豊かにすることができる、そんな思いでスタートしています。
仕事は、チラシやカタログ、テレビやラジオ、ホームページやSNSでの広報活動の代行と変遷し、近年は会社のブランドづくりをしています。ただし、今も思うことがあります。これでいいんだろうか?見せかけの広告って死んでいる。短期的な売り上げを上げるためのデザインって発想が破綻している。本当に社会に役立っているのかと。
いつものアンチテーゼです。世の中を豊かに幸せにせねばなりません。なのでそのベクトルに合わせた仕事をしていきたいと思います。
個性は、人も会社も大切。
人に合わせたり、人目ばかりを気にすると創造性が失われます。
具体的には、子供に遊びやゆとりを与えたり、楽しさを助長したり、ひいては大人の仕事もクリエイティブにできる環境づくりです。そこにデザインが役立てればと思います。